今回の記事では、ヴィルヘルム2世を描いた風刺画の意味や描かれた時代背景について解説します。
ヴィルヘルム2世の風刺画の紹介
ヴィルヘルム2世の風刺画はいつ、誰が描いた?
この風刺画のタイトルは「Dropping the Pilot(水先案内人の下船)」といいます。
船を降りているのはプロイセン・ドイツ帝国の首相であったビスマルク(首相在任期間:1862 – 1890)で、その様子を船の上から眺めているのがドイツ皇帝であるヴィルヘルム2世(皇帝在任期間:1888 – 1918)です。
この風刺画はイギリスのイラストレーターであるジョン・テニエル(1820 – 1914)によって描かれ、1890年3月29日にイギリスのPunch誌に掲載されました。
なお、ビスマルクがヴィルヘルム2世の要求に応じて首相を辞任したのが1890年3月19日のことなので、この風刺画はビスマルクの辞任わずか10日後に掲載されたことになります。
ヴィルヘルム2世の風刺画の意味は?
この風刺画は、1890年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が首相であったビスマルクを罷免したことを風刺したものです。
ビスマルクはヨーロッパの勢力が均衡し、衝突が起きないように巧みな外交を進めました。(ビスマルク体制)
実際、19世紀最後の四半期はビスマルク体制の成功により、国際連盟や国際連合のような国際平和組織のない時代であるにも関わらず、ほぼヨーロッパに戦争は発生しませんでした。
しかし、1890年にヴィルヘルム2世がビスマルクを更迭したことによってヨーロッパの状況は大きく変わります。
ヴィルヘルム2世は他の列強諸国との協調関係よりもドイツの帝国主義的利害を重視する、いわゆる「新航路政策」を進めたため、ドイツと列強諸国との対立が深まりました。
特に、ビスマルク体制によって封じ込められていたフランスが露仏同盟や英仏協商といったドイツ包囲網を築いていきます。
間接的には、ヴィルヘルム2世の外交が第一次世界大戦を引き起こすことになったと言えるでしょう。
ここで、もう一つ面白い風刺画を紹介します。
この風刺画はイギリスのイラストレーターであるJohn Bernard Partridgeによって描かれ、1915年のパンチ誌に掲載されたものです。
そのタイトルは「THE HAUNTED SHIP(幽霊船)」。
ヴィルヘルム2世がビスマルクを更迭してから25年後、列強各国との関係が悪化したドイツを守れるのはビスマルクしかいない…というわけで、ビスマルクが再びドイツという船に乗り込もうとしています。
船の上には驚いた表情のヴィルヘルム2世。
ただ、ビスマルクは1898年に亡くなっているので、人ではなく幽霊として描かれています。
船に上ろうとしているビスマルクの腰のあたりが透けており、後ろの階段が見えているのがわかるかと思います。
ヴィルヘルム2世と同じ構図の風刺画がたくさん生まれた
ヴィルヘルム2世の風刺画は構図がとてもわかりやすく有名なため、他の風刺画にも同じ構図を用いたものが数多くあります。
ここからは現代までに描かれた同じ構図の風刺画を紹介します。
リンカーン大統領
チャーチル首相
リズ・トラス(イギリス首相)
イギリスの首相になって49日で退任したトラス首相を風刺しています。
ボリス・ジョンソン(イギリス首相)
EUから離脱しようとしているイギリスのジョンソン首相を描いています。
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