ビゴーの風刺画まとめ7選!風刺画の意味や時代背景を徹底解説します。

ビゴー_日露戦争

今回の記事では、ジョルジュ・ビゴーの描いた風刺画をその生涯とともに解説していきます。

目次

ジョルジュ・ビゴーとは誰か

ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(1860 – 1927)は、フランス生まれの挿絵画家です。

1882年から1899年にかけて日本に17年間滞在し、当時の日本の世相を伝える数多くの絵や風刺画を残したことで知られています。

ビゴーの生い立ち

ビゴーは1860年、フランスのパリで長男として誕生しました。

父親の職業はパリの下級官吏、母親は綿密画を手掛ける画家でした。母親の影響を受けビゴーは幼い頃から絵を描き始めます

しかし、8歳の時に父親は病死。11歳の時にはパリにて普仏戦争の講和に反対した一部のパリ市民が武装蜂起し自治政府を宣言します。

フランス政府軍との間で「血の一週間」と呼ばれるほどの激しい戦闘が行われました。(パリ・コミューン

このパリ・コミューンでは、ビゴーは燃えさかるパリの街や戦闘・殺戮のようすをスケッチして回ったと言われています。

その後、ビゴーはその才能から12歳という若さでエコール・デ・ボザール(フランス国立の高等美術学校)に入学します。

しかし、家計を助けるために1876年に退学し、挿絵の仕事を始めました。

ビゴーが来日した背景は?

1875年頃、ビゴーは当時腐食版画で名を馳せていたフェリックス・ビュオ(1847 – 1898)に師事し、版画のテクニックを学びます。

フェリックス・ビュオ
フェリックス・ビュオ

ビュオはジャポニザン(日本物品の熱心な愛好家)としても知られており、身の回りに数多くの浮世絵がありました。

また、1878年にはパリ万国博覧会が開催され、日本から多くの浮世絵が紹介されました。

ビゴーは浮世絵に触れることで日本に興味を抱くようになります

そして、挿絵の仕事で出会ったエミール・ゾラ(フランスの小説家)やエドモン・ド・ゴンクール(フランスの作家・美術評論家)も日本愛好家として有名で、

ビゴーは彼らから日本の情報を得て、本格的に日本に憧れるようになります。

そして1882年、ついにビゴーはマルセイユ港を経ち、21歳のときに訪日しました。

日本でのビゴーの活動は?

来日直後、サムライのコスプレをするビゴー

来日したビゴーは東京の麹町に居を構え、1882年から1884年までの2年間、お雇い外国人として絵画の講師に雇用されます。

この間、日本の庶民の生活をスケッチした3冊の画集(『あさ』『おはよ』『また』)を自費出版しています。

自費出版した画集が外国人居留地に住む外国人から好評を得たことから、ビゴーはその後も居留地の外国人向けに絵を描くことで日本に住み続けることとなりました。

1887年には居留フランス人向けの風刺漫画雑誌『トバエ』を創刊し、日本の政治を題材とする風刺漫画を多数発表しました。

ビゴーの描いた版画・風刺画を紹介

ここからは、ビゴーが描いた版画や風刺画を紹介していきます。

銅版画『おはよ』より「学生」

おはよ_学生
学生

こちらは「学生」というタイトルの版画です。

大学生だとすると、恐らく明治10年に創建された東京大学の学生だと思われます(この版画が出版された明治15~16年時点では東京大学しかなかったため)。

夜道が暗かったため、提灯を持って歩いている様子を描いています。

日清戦争を描いた「魚釣り遊び」

日清戦争_風刺画_ビゴー
魚釣り遊び

こちらはトバエ01号(創刊号:1887年)に掲載された風刺画です。

朝鮮を釣り上げようとしている日本と清国、そして隙あればその魚を横取りしようとするロシア、という構図で、日清戦争直前の極東情勢を風刺しています。

ビゴー作品の中で最も有名と言ってもよい風刺画で、中学校・高校の歴史教科書や参考書などで紹介されています。

→魚釣り遊びについては別の記事で細かく解説しています。

社交界に出入りする紳士淑女

トバエ_猿真似
社交界に出入りする紳士淑女

こちらはトバエ06号(1887年)に掲載されたものです。

大きな姿見の前に男女のカップルが立っています。

鏡の前でポーズを取っている男女は、いかにもカネのかかっていそうな立派な風体をしていますが、鏡に映っているのは首から上だけです。

首から下は服を描いておらず、斜線が描かれているだけ。

さらに驚いたことに、顔は人間の顔ではなく、猿の顔になっています

風刺画の左上には「名磨行」と書かれていますが、これは「なまいき(=生意気)」の意味です。

当時の日本は鹿鳴館時代で、欧化主義が広まり始めた時代でした。

外国との社交場として使用された鹿鳴館では西欧式の舞踏会が開かれ、祝賀会行事や数々の国内行事が催されていました。

しかし、当時の日本では西欧式舞踏会のマナーやエチケットを知る人はおらず、服の着方や物の食べ方、舞踏の仕方などは西欧人の目からは様にならないものばかりでした。

風体だけ立派に整えていたとしても、マナーを全く知らない日本人は西欧人にとって滑稽であり、単なる猿真似にしか見えなかったというわけです。

この風刺画は当時の日本人の様子を端的に伝えるもので、ビゴーの描いた風刺画の中でも有名なものの一つとなっています。

月曜日の鹿鳴館

月曜日の鹿鳴館
月曜日の鹿鳴館

こちらはトバエ06号(1887年)に掲載されたもので、前述の「社交界に出入りする紳士淑女」と同様、当時の鹿鳴館の様子を描いた風刺画です。

舞踏用のドレスを着た女性が数人いますが、キセルでたばこをふかしており、床に座り込んだり、たばこの灰を床に落としていたり、かなり下品な様子が描かれています。

実は、この女性たちは「芸妓」でした。

当時はダンスを踊れる日本人女性が少なかったため、ダンスの訓練を受けた芸妓が舞踏会に動員されていたのです。

このように、当時の日本は急速に西欧化を進めようとしたものの、まだ明治維新間もない時代であり、このように西欧人から揶揄されてしまったのも無理はないのかもしれません。

ビゴーはもともと浮世絵などに描かれた江戸期の日本に憧れを抱いて来日しており、このような西欧にかぶれている日本人の様子を見て落胆した、とも言われています。

ちなみに、こちらの風刺画も右上に「名磨行(なまいき)」と書かれています。

当時の日本人の西洋かぶれは、ビゴーにとって余程目に余るものに見えていたようです。

メンザレ号事件

トバエ_ノルマントン号事件
メンザレ号事件

「ノルマントン号事件」という名前でこの風刺画を知った方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、この風刺画のタイトルは「メンザレ号事件」です。ノルマントン号事件ではありません

ノルマントン号事件というのは、1886(明治19)年にイギリスの貨物船ノルマントン号が紀州沖で難破して、そのまま沈没してしまった事件です。

外国人船員は全員ボートで脱出して助かったのに対し、日本人乗客25名は全員水死してしまいました。

事件後、神戸領事裁判所(イギリス人が裁判官)は「船長は無罪」という判決を下したため、日本国民は激しく怒りました。

船長が無罪になったのはイギリスに対して治外法権を認めているからではないのか?ということで、日本中で不平等条約の改正に向けた運動が始まりました

ところで、ビゴーはフランス人で,不平等条約の改正はもっとゆっくりと対応するべきだと考えていました(フランスにとっては有利な状況を続けたいから)。

そのため、ビゴーはノルマントン号事件におけるイギリスの対応によって、日本人の条約改正への機運を高めてしまったことに対して腹立たしく思っていました。

そこへ、フランスの郵便船メンザレ号が上海沖で遭難したというニュースを聞き、それを利用してイギリスの対応を皮肉った風刺画を描いた、というわけです。

その証拠に、この風刺画のタイトルは「メンザレ号(フランスの郵便船)事件」なのに、描かれている商船旗はイギリスのものです。

風刺画のタイトルを「ノルマントン号事件」としてしまうとイギリスとの関係上問題があると考え、タイトルだけフランスのものにしてイギリスの対応を皮肉った、という構図になります。ややこしいですね。

日露戦争の風刺画

ビゴーが描いた日露戦争の風刺画を紹介します。

ビゴー_日露戦争
日露戦争の風刺画

腕を後に組んで葉巻を吸って構えるロシア将校に対して、へっぴり腰で刀を突き付けている日本の軍人がいます。

これは当時のロシアと日本の軍事力の差を表しています。

そして、日本の軍人をイギリス人が後ろからけしかけ、さらにその後ろではアメリカ人がパイプをくわえて見守っています。

イギリスはロシアの南下を警戒し、1902年に日本との同盟を結んでいました。

また、日英同盟の間を取り持ったのがアメリカでした。

両国ともアジアへの進出を狙っており、日本を利用してロシアの影響力を下げようとする様子が風刺画に表れています。

ビゴー_日露戦争2
日露戦争の風刺画その2

ビゴーが日露戦争の背景を描いた風刺画をもう一つ紹介します。

You take him by the horns and I’ll catch him by the tail(君が角を引っ張れば、私が尻尾を捕まえるよ)」と題する風刺画で、ロシアを表した巨大な牛と、これに生身で立ち向かおうとする日本軍人を描いています。

イギリス人が離れた安全地帯からそそのかしており、この風刺画もイギリスが日本を利用してロシアと争わせようとしている様子を表しています。

このように、ビゴーは列強との戦争に向かう日本の様子を数多く風刺画として残しています。

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