今回の記事では、日清戦争を描いた風刺画「魚釣り遊び」の意味や描かれた時代背景について解説していきます。
また、日清戦争当時を描いた他の風刺画も紹介します。
風刺画「魚釣り遊び」の解説
風刺画「魚釣り遊び」の作者は誰?
この風刺画のタイトルは「Une partie de pêche(英訳:”A party of fishing”(日本語訳:魚釣り遊び))」といいます。
教科書にも載るくらい有名な風刺画なので、見たことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
作者のジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(1860 – 1927)はフランスの画家・漫画家で、
この風刺画は1887年にビゴーが横浜居留地で発行した風刺雑誌「トバエ」に掲載されました。
ちなみにこの雑誌名「トバエ」は「鳥羽絵」のことで、
鳥羽絵とは江戸時代から明治時代にかけて流行した略画体の戯画(浮世絵の様式の一つ)のことを指します。
かつて鳥羽僧正が「鳥獣戯画」の作者ではないかと考えられていたことから「鳥羽絵」と名付けられました。
ビゴーは来日時に浮世絵について詳しくなり、鳥羽絵の影響を受けたことから自身が発行した雑誌名に「トバエ」と付けたわけです。
ビゴーは1882年(明治15年)から1899年(明治32年)にかけて日本に17年間滞在し、その間日本に関する多くの風刺画を残しています。
ちなみに、世界最大のビゴー作品コレクションを有しているのは日本の宇都宮美術館です(約300点)。
この風刺画は何を意味している?
この風刺画が描かれた19世紀後半頃、朝鮮半島をめぐって日本と清(現在の中国)は激しく対立するようになりました。
風刺画の中で左のちょんまげをした人が日本、右の帽子をかぶった人が清国で、釣ろうとしている魚は朝鮮(COREE)です。
その2人を橋の上から高みの見物をして、機をうかがうようにじっと見ているのがロシアです。
ロシアは当時南下政策を進めており、朝鮮への侵略も狙っていました。
日本と清国、どちらが朝鮮を取ったとしても疲弊するはずで、勝った方にロシアは争いを仕掛けようと考えていました。
ロシアはいわゆる「漁夫の利」を狙っていたというわけです。
実際にこの風刺画が描かれてから7年後の1894年、日清戦争が勃発し、
勝利した日本とロシアは1904年に日露戦争でぶつかることになります。
ちなみに、この風刺画をよく見ると、正々堂々と釣りで勝負をしようとしている日本に対し、清(中国)は水の中に魚のえさを撒き、魚をおびき寄せているように見えます。
当時の清国はある時には宗主国として、またある時には属国として朝鮮を扱い、日本を翻弄しようとして様々な策を弄していました。
ビゴーはこのような清国の狡猾なやり方を風刺画に表現しようとしたのかもしれません。
この風刺画にセリフを付けるとしたら?
この風刺画は当時の東アジア情勢や国際関係を上手く表しており、教科書にもよく掲載されています。
歴史の試験問題でよく出るのが「この風刺画の登場人物(日本、清国、ロシア)にセリフを付けるとしたらどのようなものか」というものです。
模範解答は下記の通りとなります。
日本 「絶対に清国より早く魚(朝鮮)を釣ってやるぞ」
清国 「えさを撒いているから日本より早く釣れるはずだ」
ロシア「日本と清国が戦ってどちらかが魚(朝鮮)を釣ったら奪いに行こう」
ビゴーが日清戦争前夜を描いたもう一つの風刺画とは?
ビゴーは数多くの日本に関する風刺画を描いていますが、もう1点紹介します。
こちらの風刺画は1888年、先ほどと同じトバエ誌に掲載されたものです。
海に浮かぶのは日本の艦隊で、それを陸から眺めているのは清国と朝鮮の2人です。
風刺画の中央に日本語でセリフが書かれています。
しかし、小魚(ゴマメ)の歯切り 恐るヽに足らむ
海軍を増強して列強と対抗しようとする海洋国家日本の姿を、清国と朝鮮の姿を借りて揶揄しています。
日本がどんなに軍備を増強しようとも所詮ごまめの歯ぎしりに過ぎない、と言っているわけですね。
ビゴーは反日だったのか?
ビゴーは大国フランス出身のためか、当時の小国である日本を揶揄する姿勢が見られ、上記の風刺画のように、日本を揶揄する風刺画も数多く描いています。
この姿勢を持ってビゴーを「反日」と断ずる意見もあるようですが、筆者としてはやや短絡的な意見かと思います。
というのは、ビゴーはわざわざ遠く離れたフランスからやって来て17年間も日本に滞在しています。
ビゴーの写真。わざわざサムライのコスプレをして撮影しています
日本が嫌いならすぐに帰国しているでしょう。
ビゴーは江戸時代の日本に憧れて来日したとも言われており、列強各国に追い付こうとして無理に近代化を進めていた明治期の日本に落胆し、当時の日本を揶揄する風刺画を描いたのかもしれません。
日清戦争を描いた他の風刺画
最後に、日清戦争当時の状況を描いた他の風刺画を2点紹介します。
こちらはイギリスの「パンチ」誌(1894年8月4日号)に掲載されたものです。
ビゴーの風刺画と構図が似ていることに気付かれたでしょうか?
そう、2羽のニワトリが日本と中国、後ろで舌を出しているクマがロシアを表しているのです。
欧米でも日本と清の争いは注目を浴びており、当時はロシアが強国、日本と中国は弱国とみなされていたことがわかります。
こちらは同じく「パンチ」誌(1894年12月22日号)に掲載された風刺画です。
真ん中にいる小さい人物(日本人)が居並ぶ屈強な群衆(ヨーロッパ諸国)に兵法を講義している様子を描いています。
群衆の中にはイギリス、ドイツ帝国、フランスなどの主要国も見えます。
この風刺画は、日清戦争における日本の軍事力とその戦術に対するヨーロッパの驚きを表しています。
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