セシル・ローズの風刺画はアフリカ分割を進めるイギリス植民地政策を揶揄したものだった!

セシルローズ_風刺画

今回の記事では、セシル・ローズの風刺画の意味や描かれた時代背景について解説します。

目次

セシル・ローズの風刺画の紹介

セシルローズ_風刺画

この風刺画のタイトルは「ローズ・コロッサス(The Rhodes Colossus:ロードスの巨像)」といいます。

世界七不思議の一つである「ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)」をもじって名付けられました。

この風刺画に描かれている人物の名前はセシル・ローズ (1853 – 1902)で、イギリス帝国の植民地政治家です。

セシル・ローズの風刺画はいつ誰が描いた?

この風刺画はイギリスの漫画家であるエドワード・リンリー・サンボーンによって描かれ、1892年に当時のイギリスで発行された「パンチ」という週刊誌に掲載されました。

サンボーンは多くの挿絵やイラスト、人物の似顔絵などを描いたことで知られ、彼の自宅は現在博物館として一般公開されています。(博物館公式サイト

セシル・ローズの風刺画の意味は?

この風刺画を見ると、セシル・ローズが足を大きく開いてアフリカ大陸を跨いでいることがわかります。

大きく開いた右足は南アフリカのケープタウン、左足はエジプトのカイロに置かれており、両者ともに19世紀後半、イギリスによって植民地化されていました。

セシル・ローズはもともと鉱山会社の社長で、南アフリカのダイヤモンド鉱山や金鉱山を独占することで財を成し、植民地政治家に転身します。

その後、セシル・ローズは1894年にケープ植民地(南アフリカ)の首相となり、1895年には中央アフリカを征服し、自らの名前にちなみ「ローデシア」と命名しました。

風刺画の中でセシル・ローズが両手に持っているのは電線で、鉄道と電信線を建設することでアフリカ大陸をつなげたいという彼の欲望を表しています。

また、風刺画の中でセシル・ローズが右手に持っている帽子はイギリス軍隊が用いていた探検用のヘルメットで、肩にはライフルをかついでいます。

軍隊の力でアフリカ大陸を意のままに支配したいという意図がよく表現されている絵ですね。

セシル・ローズの風刺画の時代背景

もともと、ヨーロッパはアフリカの内陸まで進出していなかった

ヨーロッパ諸国によるアフリカへの進出は15世紀くらいから行われてきました。

ただし、その支配地域はアフリカ大陸の沿岸部に限られており、多くの場合は沿岸の港を支配するだけでした。

ヨーロッパによるアフリカ支配が内陸部まで及ばなかった理由は、当時ヨーロッパがアフリカに求めていたものは「奴隷」「若干の物資」がメインであり、それらは沿岸の港を通じてアフリカ内陸部を支配する王国から購入すれば十分だったからです。

つまり、未知の領域であるアフリカ内陸部まで支配を広げるコストに見合った利益がないと判断されていました。

ヨーロッパ列強によるアフリカ支配本格化のきっかけは「産業革命」

19世紀に入ると産業革命が進み、それに伴って奴隷貿易が禁止されました。

その結果、ヨーロッパ列強は工業製品を製造するための「原料の供給地」「製品の市場」としてアフリカに目を付けます。

アフリカ内陸まで植民地化する方が経済的なメリットが大きいと判断されるようになり、列強による植民地化が本格化していきます。

最終的にアフリカは7か国によって分割支配された

1884年に欧米14か国が参加したベルリン会議が開かれ、

植民地化の原則が合意されたことにより列強によるアフリカ支配が進みます。

最終的にはアフリカは7か国によって分割支配されました。

<ヨーロッパ列強が進出する前(1880年)と後(1913年)のアフリカ支配図>

アフリカの植民地分割図(1880-1913)

セシル・ローズの風刺画の影響

セシル・ローズの風刺画は当時の帝国主義をわかりやすく表現したものとして有名になりました。

その後現在に至るまで、様々な国でセシル・ローズのパロディ作品が描かれています。

ここでは代表的なパロディ作品として2作品を紹介します。

「太平洋の巨像」

太平洋の巨像

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/The_Rhodes_Colossus

この風刺画は1898年に起きた米西戦争でアメリカが勝利した後の、アジアにおけるアメリカ帝国主義を描写したもので、

セシル・ローズの風刺画を意図的に真似た作品です。

「118年後のローズ・コロッサス」

118年後のローズ・コロッサス

出典:https://www.zapiro.com/090405st

この風刺画は南アフリカの漫画家ジョナサン・シャピロによって2009年に発表された作品です。

中国の温家宝首相が当時の南アフリカにおけるズマ国際関係協力大臣を操っており、遠くからダライ・ラマがその様子を眺めています。

これは、ダライ・ラマがヨハネスブルグで開催された国際平和会議に出席するためのビザ発行が南アフリカ政府によって拒否されたことで、中国が南アフリカに外交圧力をかけていることを揶揄したものです。

このように、セシル・ローズの風刺画は世界的に有名になったため、現在に至るまで様々な国でパロディ作品が生まれています。

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