この記事では、風刺画の歴史について解説します。
風刺画の歴史は紀元前にさかのぼる
風刺画と聞くと、政治や世相を揶揄したり皮肉を込めた絵画のことを想像する方が多いと思います。
しかし、広い意味での「風刺画」とは、滑稽や風刺を意図して描かれた戯画や落書きのことを指します。
例えば、古代エジプトのパピルスに描かれた動物や古代ギリシャの民衆も立派な風刺画です。
また、日本においては法隆寺の天井裏に人物画や仮名などが落書きされており、これは法隆寺の再建当時(西暦700年頃)に当時の大工さんが遊びで描いたものと言われています。
人物画としては、これが現存する国内最古の風刺画とされています。
顔面を強調する手段としての風刺画
16世紀頃になると、人物の一部を強調して描いた絵画がイタリアで生まれます。
これをカリカチュア(イタリア語で「誇張する」を意味する”caricare”が語源)と呼ぶようになりました。
政治風刺の手段としての風刺画
18世紀以降、特にイギリスとフランスではカリカチュア(風刺画)が政治を風刺する手段として普及するようになりました。
この時代の有名な風刺画家としてはイギリスのジェームズ・ギルレイ(1757 – 1815)やジョージ・クルックシャンク(1792 – 1878)がいます。
こちらの風刺画はギルレイが描いた「プラム・プディングの危機」というもので、当時積極的に世界進出を進めていたフランスのナポレオン3世とイギリスの小ピットを描いています。
2人がプラム・プディングに見立てた地球を我が物顔で切り取ろうとしています。
ちなみにプラム・プディングとはイギリスのお菓子で、ドライフルーツやナッツを生地に混ぜ込んで蒸して作る伝統菓子です。
こちらの風刺画はロシア遠征に失敗したナポレオンを風刺した漫画で、タイトルは『Snuffing out Boney!(墓に行け!)』です。
ナポレオンがロウソク立てに貼り付けにされて、コサック兵にハサミで首を切られそうになっています。
ナポレオン時代のフランスにおいては数多くの風刺画が描かれました。
フランス革命時の風刺画については別記事で細かく解説しています。
日本における風刺画の歴史は?
日本においても風刺画は独自の進化を遂げています。
前述の法隆寺における落書きのように、人物を描くという行為はかなり古くから行われていましたが、記録として残っているのは12世紀~13世紀に描かれた鳥獣戯画までさかのぼります。
その後、江戸時代になって多くの浮世絵師が登場し、一気に人物画がブームになります。
こちらは浮世絵師の耳鳥斎(じちょうさい:1751年以前 – 1802-03年頃)が描いた芝居俳優の似顔絵集である「絵本水也空(えほんみずやそら)」。
現代の漫画に登場してもおかしくないくらい可愛く描かれていますよね。
続いて紹介するのがこちら、歌川国芳が描いた「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」です。
多くの人が絡み合って人の顔を形成する「寄せ絵」というスタイルを取っています。
このように、江戸時代には人物を描いた風刺画が流行したのですが、これらには社会や政治・世相に対する鋭い風刺的精神があったわけではありませんでした。
いわゆる現代の「風刺画」のはしりとなったのがジョルジュ・ビゴー(1860 – 1927)です。
日清戦争当時の日本・中国・ロシアの状況を端的に描いたこの「魚釣り遊び」は教科書に載るくらい有名な風刺画として知られています。
ビゴーは日本における政治風刺漫画を流行させた立役者でもあります。
ビゴーの描いた風刺画に関しては別の記事で詳しく解説していますので、そちらも参照ください。
まとめ:風刺画には長い歴史があった
世界と日本、それぞれにおいて風刺画がどのように進化を遂げてきたか解説してきました。
特に日本においては、鳥獣戯画が「世界最古の漫画」と称されるほど独自の進化を遂げており、現在の日本における漫画の技術躍進のルーツはこのあたりにあるのかもしれませんね。
現代の風刺画や漫画を読む際には、このような風刺画の長い歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
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